現在久々にピアノを弾き直した。3歳ほどマージンがあるため、何より最初は押しなべて弾けない。いやに歯がゆい。前は快く弾けたのに。
(前のように弾けない)自分にイライラしてしまうこともあったが、1曲はじけるようになると以前の面白く弾いてた考えがよみがえる。
鍵盤と自分の指を見ながら音調にうっとり講じる。だいぶ幸せなときだろう。それほどネットでピアニストが弾いてるムービーや音源を聴くが、
なかなか名人やあたいよりうまい人の音調より自分で好きなように弾いているほうが歓迎らしき。
そういえば、昔読んだ正式にこんな報道が書かれていた。「ビートルズが色恋が要るとして、その人はビートルズを100万回聴くより、一括払い自分で歌唱するほうがすこぶる幸せなのだ。」(グループ書簡を変更している)あらそういうことか。ピアノが好きなあたいは、ピアノを聴くよりピアノを自分で弾くほうが幸せなのだ。
よりピアノが好きになった。
マージン歳月も含め、ピアノと出会って更に8歳が経った。こちらにとってピアノとは案の定なんなのか、時どき自問する。
ソリューションは依然として定まってない。状況によって色々な考え・力が込み上げる。ただ、どんな時も「こちらはピアノが宝物です」と胸を張って呼べる。
小学5歳のシーン、ピアノに出会ってよかったとつくづく思っている。エピレ キャンペーン VIOとワキ

 4月にそれまで長期間親しんできたガラケイをケータイに替えて、誠に65年代にしてスマホデビューを果たしたのはいいのですが、呼び出し、メイル、カメラ他使用していません。小6の孫に「おじいさん、これじゃガラケイでもよかったんちゃう」と言われてしまいました。ケータイにした用事は端末で画像無料で投稿するのに、ガラケイよりもケータイのほうがフィルムがきれいで、高いフィルムが撮れるからという単純な物証からでした。だからわざわざオンラインとかをスマホでする真意は無かったんです。
 ところが孫から遊戯をやりたいからダウンロードしてと、3つの遊戯呼称を書いた思い出を渡されました。えーどうしてすりゃいいんだ、その日からトライアンドエラーしましたが、どうにも出来ません。それを見かねた孫が「ぼくしても良い」というもんだから許可すると楽にダウンロードしてしまいました。そして遊戯を始めました。おじいさんはまるまる思い付かのに、今どきのお子さんはケータイを欠けるのにやり方は通じるようです。
 まいいか、孫が使用出来るから使ってもらったらケータイにした意味があったものだと、定義の思い付か理屈でそれぞれを同感させています。ミュゼ 鼻下